海鷲が語ったりするやつ

気が向いたときにだけやるぞ よろしくな

死が嫌いって話

seagleです。

 

2回連続暗い話になってしまって申し訳無いですがちょっと文章で吐き出した方が心の整理もしやすいだろうと思ってこの記事を書きます。

人の死についての話なので、苦手だなって方は閉じていただいて構いません。

 

 

先日水曜、父方の祖母が亡くなりました。

 

 

老衰。93歳で大往生です。

認知症で施設住まいだったのですが、当日の朝も朝食を摂るために食堂まで降りてきていたし直前まで施設内をうろうろ歩いている姿が目撃されていたらしい。しかし職員さんが昼食のお迎えに来た時には既に呼吸が止まっていたそうです。多分30分くらいの間だったか……

多分なんかしんどいな、横になるか、って感じでベッドに横たわって、そのまま眠るように息を引き取ったのかも。

 

最後に見たのがコロナ前だったから多分3年くらい前?だから、全然会えてなかったけれど、ベッドに横たわった祖母を久々に見て「痩せたなあ」とまず思った。

 

口をぽかんと開けて本当に眠っているだけみたいな顔をしていて、亡くなっているという実感はこの段階では湧かなかった。ぶっちゃけ会館に泊まる用意だったりとかでバタバタしててそれどころじゃなかったっていうのが本当の所だけど。

この時期は火葬場の予約がギチギチで、金曜が友引だったというのもあって、焼くのが日曜まで伸びました。

4泊5日、会場泊まり込みです。

大変だった!寝ずの番とかもしてた!がんばった!昨日職員に「エ!?電気タイプの蝋燭あるから皆さんお休みしても大丈夫だったのに!」って言われたけど!

 

昨日、湯灌で綺麗にしてもらって白装束着せてもらってお化粧もしてもらって棺の中に入って思い出のものとお花に少し囲まれて収まった祖母を見て、この段階で漸く死を実感し始めた。

 

それで、今日の出棺。火葬場では棺を開けないから会場で本当に最後のお別れ。

 

そんなに実感が無いから泣かないだろうと思っていたんだけど。

 

棺の中で眠る祖母を見て、額に触れて、その冷たさでじわじわ来ていた死の実感が一気に溢れ出した。もうこの目が開く事も無いし、ほんのり温かくなる事も無い。もう動かない。たくさんのお花に囲まれて、穏やかに眠っている。安堵とか悲しみとか恐怖とか、いっぱい湧いてきて。

 

涙が堰を切ったように溢れて止まらなくなった。

 

棺を火葬場の炉まで見送って、それからはなんだかよく分からない心地のまま精進料理を食べた。朝を抜いていたお陰でお腹はぺこぺこだったけど意外と量が多くて食べ終わる頃にはちょっと胃が苦しくなる程度に。親戚もいるからある意味緊張していたのもあったかもしれない。正直葬儀そのものがしんどかった。

 

それからまた火葬場に行って、骨だけになった祖母を見た。

 

めちゃくちゃ骨が残ってた。

火葬場の職員さんに「指の先とか歯とか脚とか喉仏(第二頸椎)とか、ここまで綺麗に残っているのは珍しいんですよ」って言われた。マジか。

そりゃあんなに瘦せてても直前まで歩けてた訳だ。腰を悪くしていたのと食が細かったのと認知症を患っていた以外は全くの健康体だったもんな。

ある意味えらいぞ。

 

でもそこからはなんだか、空虚って感じがして何も覚えていない。骨壺に入って小さくなった祖母を見ても本当に死んだのか?とこれまた実感がない状態に逆戻りしてしまった。ずっと会えないままだったからというのもあってか、今も施設にいてのんびり生きているんじゃないか、生きていたらいいのに、と思っている。

 

そう考えながら自宅に戻って、長かった葬儀が終わった。

 

5日間ずーっと頭の中で暴れまわっていた感情はまだ消えていない。

 

 

本題。(ここから!?)

 

 

私は以前より『死ぬ』という概念が死ぬほど嫌いです。

 

この"死ぬほど"はあくまで比喩。

本当に"死ぬ"というのが嫌い。

 

輪廻こそ信じてはいるものの、自分には前世の記憶とかは無い。

つまり今自分が自分であると認識できるのはこの人生だけ。

自分が生きているこの世界を認識できるのもこの人生だけ。

来世なんてものがあったとしてもそこに私の意識は無い。

死んだ後の意識はどうなる?死んだらどこに行く?

分からない。

もしかしたら本当に浄土があるのかもしれないしぱったりと消滅するのかもしれない。

死なないと分からない。

 

って考えると、本当に死が怖いのです。死ぬという事そのものに恐怖を感じている。

極論を言うと、「死はフィクションであるべき」と考える自分もいる。そんな筈は全く無いのも分かってはいるけど、死というものは実際望ましいものではないから、全部嘘だったらいいのにって。比喩として「死ぬ」って結構使う身としても思う。

 

だから私は不老不死というものを夢見ている。"老い=体が死に向かって衰えていく"みたいな認識がどうしてもあるものだから、不老不死が一番好ましいと思っている。生きてるだけでお金を取られるのも辛いけど、それより私は死ぬ事が本当に怖いと思っています。

 

自分だけじゃなく、他の人もそうです。

今回みたいに人の死を見て、いずれ来る母方の祖母や両親の終わりを想像してしまう。

 

吐き気がするほど嫌になるね。

私は他の人にも死んでほしくないんです。

 

死にたいって希死念慮に駆られているフォロワーも結構多いんですけれど、見る度に心のどっかしらがギリギリ痛むんです。死んだら、そりゃ楽になるかもしれないが、楽しい事とか美味しいものとかそういうものも全部分からなくなってしまう。死を選ぶ事は本当に良い事なのか?

 

良い訳無いだろ、どつきまわすぞ

 

どうにかしてみんな意識を永劫持てるみたいな未来が来ないかな。

世界が人で埋まって大変なことになりそうだけど、自他関係なしに今この世界に生きている人間達の意識がずっと続けばいいのにって思っている。

無理か。悲しいな。死にたくない。せめて私も寿命まで生きたい。いややっぱ寿命でも死にたくない!

 

結構そういう気持ちで暫くぐるぐるするかもしれません。色々ご迷惑かけてしまうかもしれないです。立ち直れるように頑張るね。とりあえず明日からいきなり仕事だから狂った睡眠リズムとかを直さないとな……

 

フォロワーも死ぬな。生きろよ。

 

色々吐き出す感じで書いたので乱文ですまない。

次は明るい記事書くね。

 

今日はここまで。